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年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからずは、釣りにも通じる

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私が例年桜の花が咲くころになると思い出すのが、中国唐代の詩人劉希夷(りゅう きい)が詠んだ「歳歳年年花相似たり年年歳歳人同じからず」という詩です。
 

 
パブロフの犬みたいに、桜の花の開花を見聞すると、この詩を思い出すのです。^^;
 
 
「歳歳年年」の部分と「年年歳歳」の部分の対比が見事で、この詩を知った30代後半から公私ともにいろいろなシーンで使わせてもらってもいます。
 
 
また、この詩の意味も切なくなるのですが、素晴らしい対比です。
 
 
「毎年咲く花は似たり寄ったりだが、人は年々変わっていく」と、言うのがストレートな意味ですが、自然の悠久さと人の世のはかなさを比較して人生の無常を実に見事に詠んだ詩だと思います。
 
 
場所が変わっても、この詩は釣りにも通じるものなのです。
 
 
そのワケがどういうことなのかを私なりの解釈で書き記したいと思います。
 
 
 
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釣りにも通じる歳歳年年

 
桜の花が咲きだす頃に博多湾を含めた福岡市周辺部の海域での釣りが楽しくなります。
 
 
それまでは、どんな釣りをしてもたいした釣果がないのに、なぜか桜の花が咲くころになるといろいろな魚たちの活性が上がります。
 

 
シーバス(スズキ)はもちろん、メバルやアラカブ等々も良く釣れ始めるのです。
 
 
多少の時期の誤差はあるものの、永く釣りをしているとそう感じざるを得ません。
 
 
クマゼミが鳴き始める時期だとか、クワガタやカブトムシが採れる時期が凡そ決まっているように魚もまた不思議とある時期にならないとある魚が釣れないということがあります。
 
 
大きな番狂わせは、ほぼほぼ・・・ありません。
 
 
もちろんですが、博多湾でもカワハギやサンバソウが湧く年もありますし、タチウオが多い年だとかコウイカが多い年などと言うのもありますが、こういう魚たちは本来的にはゲストのような気もするんです。
 
 
メイタ~チヌも4月ぐらいに釣れることがありますが、たいてい釣れるのは梅雨が明けてぐらいからです。
 
 

釣りにも通じる年年歳歳人同じからず

 
博多湾で何十年も釣りをしていると、すっかり釣れなくなった魚のことは別としまして、毎年同じような時期に同じような魚が同じところで釣れることを感じます。
 
 
ですが、竿を出す私は年々年老いていきます。(涙)
 

 
素晴らしい夕焼けを眺めながら釣りをしていると、「俺が死んでも博多湾は変わらないだろうなぁ~」などと思うこともあります。^^;
 
 
潮の干満はもとより、多少の海水温の変化があるにせよ、大局的にはほとんど変わらずにこの先永遠と海が変化し続けることに本当に人生の短さを感じてしまうことがあります。
 
 
仮に100歳まで生きたところで、自然の摂理のひとつである海にたいした変化があるとも思えません。
 
 
何歳まで竿を握って博多湾と対峙できるのかは不明ですが、私が毎年年老いていくのに海はたいした変化がないことがはかないと思うことが多々あります。
 
 
自然の前では、人の寿命などたかだか知れています。
 
 
魚が相変わらずいたとしても、将来病床で釣りにも行けなくなる自分を想像すると、なんとなくですが侘しくなります。
 
 
まとめ
 
「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」なる詩は、釣りにも通じると思います。
 
 
「年年歳歳魚相似たり歳歳年年人同じからず」ということでしょうか?
 
 
自然の摂理なるものが、おぼろげながら理解できるような年齢になるとなぜか人は息絶えてしまいます。
 
 
これもまた自然の摂理なのかもしれません。
 
 
 
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