私は小学校から高校生までを北九州市で過ごしたので、高校生の頃から聴いているJAZZとJAZZ喫茶については、ちょっぴり知っているつもりです。
今はないけど、昔は小倉駅前には「アベベ」と「ブルーノート」というジャズ喫茶があったし、私が妻と結婚した頃よく通った「ジャズストリート52」というジャズ喫茶もありました。
勘違いしないでいただきたいのが、私はJAZZ世代でもなければ、その後のビートルズ世代でもないのです。
小学生の頃にテレビで流れていたのはGSことグループサウンズの曲だったし、ウルトラQやウルトラマン、ウルトラセブン、ガメラ、ゴジラ、大魔神の時代に少年期を迎えていたんです。
それが時代を逆行するように中学生でビートルズやストーンズやロックを聴き、高校生になるとJAZZを聴いて、なぜか大学に入った頃にナベサダこと渡辺貞夫さんの「カリフォルニア・シャワー」なるアルバムの曲が資生堂のブラバスというメンズ化粧品で起用されていました。
その当時のブラバスのモデルは、北九州出勤の年をとっても世紀の二枚目な草刈正雄さんでした。
この頃の草刈正雄さんは、とにかくかっこ良かった!
(今でも、かっこいいですけど!)
スポンサードリンク
九州のJAZZ発祥の地若松にいきました
若松区は北九州市の中でも経済的にも地盤沈下が激しい場所のように感じますが、私が幼い頃は凄く栄えていたんです。
親戚や知人もいましたので鮮明な記憶があるんです。
実はこれを見るまでは、九州のJAZZの発祥の地が若松であるとは知りませんでした。
昔よく歩いた洞海湾の沿岸や本町の商店街を歩いてみました。
こういう商店街の姿を見ると、「平家物語」のくだりを思い出しませんか?
昔の面影が、まるでないのです。
時代の趨勢と言ってしまえばそれだけですが、こうなるまでには様々な人間模様があったはずです。
スポンサードリンク
気になっていたJAZZ喫茶「エル・エバンス」で
私があえて今回遠回りをして若松区を訪れたのかについては、こちらのJAZZを聴きながら食事ができるJAZZ喫茶「エル・エバンス」に行きたかったからです。
食べるものも決めていたんですけど・・・。
結局、JAZZ喫茶「エル・エバンス」に辿り着いたのが15時ぐらいで、お店はお盆前ということもあり、もう閉店という悲しい結末。
その日は夕方もお店を開けないと言われていました。
いやいや、残念!!
博多が誇る中洲ジャズ2019年
今年で11年目を迎える中洲ジャズですが、実は10年目で終了という計画もあったみたいなのです。
JAZZを45年間も聴いてきた私はそのことが良く分かります。
今は音楽に限らず多様性だとか個性を重要視しすぎて、多くの分野で「指標」がほとんどなくなりつつあります。
私の学生時代には「スウィングジャーナル」をはじめとしたJAZZの雑誌がいくつかあり、ジャズ評論家が偉そうなことを書いていて、それに大いに反発したりしてもいました。
しかしながら、今は反発するものもなければ、何を聴いてよいのや分からん時代になりました。
CDが売れなくなって久しいのですが、今のように情報が逆に入りづらい時代になると、聴くべき対象すら自分で探せということ。
「守・破・離」という言葉がありますが、マネをする指標も分からなくなった時代に革新的で「発展的な音」が現れて来るとも思えません。
タイトルの「九州のJAZZの発祥の地若松と中洲ジャズとの関係は?」ですが、どちらも明らかに下り坂。
私がこの世を去る前にもう一度興隆を期待したいのですが、このご時世ではそれを望むのは難しいような気もします。
スポンサードリンク