「母さん、僕の麦わら帽子どうしたんでしょうねぇ~?」じゃありませんが、今から随分前に須崎埠頭には「月光仮面」が現れていました。
私にとっては、「須崎埠頭に現れていた、あの月光仮面はどこに行ったんでしょうねぇ~?」などと、今更ながらに思い出すことがあるんです。
月光仮面と云うと、私よりも5歳~10歳ぐらい年上の方であれば、記憶の片隅に残っている「当時の少年たちのヒーロー」ではないか?と思います。
この月光仮面は、私が生まれた昭和33年つまり1958年から1959年にかけて作られたテレビ番組で、私自身この番組を見たことがないのです。
私が生まれて0歳から1歳にかけてだったし、まだテレビが家庭に普及していない時代でしたから。
で、須崎埠頭に現れていた月光仮面は、こんな白いタイツを履いた全身白づくめの怪しいおっさんではないのです。
もちろんですが、昨今の電動アシスト自転車のほうが早そうな怪しいバイクにも乗っていません。
そもそも須崎埠頭に出没していた月光仮面は、人ではなかったんです。
スポンサードリンク
須崎埠頭に出没していた「月光仮面」とは、飲食品を提供する特殊車両だった!
須崎埠頭に出没していた「月光仮面」とは、飲食品を提供する特殊車両で、私は良く利用した記憶があります。
どのようなクルマかと云うと、こういった感じです。
熊本名物らしいのですが、20年程前は須崎埠頭にも出没していました。
動画を見る限りにおいても、クルマも大型化して進化し、販売されているアイテムが当時に比べると、格段に増えているんです。
須崎に登場していたクルマは、スパンコールを貼り付けたような銀ギラ銀のクルマで、軽自動車だった記憶があります。
恐らくは、食べ物の味も、かなり進化しているのではないかと推測いたします。^^;
と云うのが、当時はお世辞にもあまり美味しいと言えないようなものばかり売っていたんです。(笑)
スポンサードリンク
あまりの不味さに文句を言いたくても、疾風(はやて)の様に走り去るのが月光仮面でした!!
私が須崎埠頭の「月光仮面」を止めて、たいてい注文していたのがラーメン。
当時は、カレイやアイナメが結構釣れていたんですが、それでもカレイは釣れるときは続けざまにパタパタと釣れるのですが、釣れないときは、竿を5本ぐらい出していても全くアタリがないという時間もたっぷりあったんです。
当然のこと、カレイやアイナメを狙うのは12月から3月ぐらいにかけてのクソ寒い日だから、どうしても温かいラーメンやおでんなどを注文していたんです。
味の方は、推して知るべし!というか、麺類が大好きな私でも、お世辞にも旨いラーメンとは程遠い存在だった記憶がありますし、おでんもイマイチだった記憶があります。^^;
極めつけがピザで、20年ぐらい前に1000円だった記憶があり、クルマの中で電子レンジに入れて温めるだけというシロモノと云うのも呆れたのですが、出されたピザは全く温める時間が短すぎて、口に入れると凄く冷たかったのです。(涙)
文句がてら、温めなおしてもらおうと思ったら、既に疾風(はやて)の様に走り去るのが「月光仮面」で、遥か彼方に走り去っているのです。(爆)
クレームが出る前に逃げてんじゃ~ないか?とマジで思っていたんです。(笑)
それでも、また月光仮面のクルマが須崎埠頭に来た時に、文句も言うことなくラーメンを注文していた記憶があります。
あの怪しいスパンコールを貼り付けたようなクルマが、ふと脳裏に浮かんだので、記事に致しました。
私と同世代で、数十年も須崎界隈で竿を出していた方なら記憶の片隅にあるはずです。
まとめ
もう~あんなクソ不味いラーメン二度と食わんバイ!!と思いつつも、あの怪しいクルマを見ると、なぜかしら魅かれていたのが「月光仮面」でした。^^;
不味いと分かっていながら注文する私も私ですが、今思い出すと、それはそれで風情があったような気が致します。
須崎埠頭でカレイやアイナメを釣りながら、あのあまり美味しくない「月光仮面」のラーメンが食べたい!!などと、改めて思うのです。
遂に目撃・・・・・月光仮面産業
立ち入り禁止が増えて、カレイやアイナメが釣れなくなり、釣り人が減少してから「月光仮面」も姿を見なくなりました。
今はきっとラーメンも美味しくなっているはずですが、あえて当時の不味くて、ぬるいスープのラーメンが懐かしい。
スポンサードリンク